*親に何より感謝

 親には何より感謝 

 

人間に生れた以上、親の存在は不可欠です。

親子の縁で結ばれている私たちには、

自分たちでは解らない深い縁があって

親子の関係で結ばれているのだと思います。

特に両親に感謝すべき事は

どんな環境でも私をこの世に産んでくれた事です。

 

これは社会から見ても大きな貢献になるのです。

ゆえに、この世の全ての親に感謝しないといけないのです。

親の努力なしでは、私が人間に転生する事は出来なかったでしょう。

自分の魂が成長する為に必要な環境が揃えられなければ、

この世に来る資格が与えられないからです。

これを揃えてくれたのが親です。

親に対しては、この事一つだけでも

無条件で感謝すべき事なのです。

私を人間に産んでくれたことに対して

何があっても親に感謝すべきです。

 

この地球村に人間の肉体を貰って、

様々な探求と研究と努力を重ねながら勉強するのは、

自分の魂を成長させる事が人間に生れた目的なのです。

前世で、不足していた質量の密度を高める事で、

内功が充分満たされて魂の成長につながるのです。

人間でなければ、この内功を満たす事は出来ないのです。

それが出来る様な肉体を作る為に、

天と地の気運が数億年の時間を経て

今の私たち人間の肉体を完成させたのです。

私たちの魂がこの肉体と結合する時は、

的確に全てが行われないといけない

大自然の法則が隠されているのです。

 

私たちが未だ解からないでいるだけなのです。

魂が肉体に入る時、それと同時に心のエネルギーというのが

生成されなければならないのです。

この天と地と人が完璧に一つに揃うことで、

全ての情報が吸収出来るようになるのです。

それで宇宙との繋ぎも正確に接触出来る様になるのです。

何か学んだ事が理解出来たときに、

その知識は自分の魂まですっと入って行きます。

その学んだ知識が全部入ることで自分の魂が豊かになるのです。

魂の質量が良くなる事です。

(この魂の話は人間誕生で詳しくお話します)

 

魂の必要な糧は非物質エネルギーです。

私たちの魂が非物質エネルギーなので魂の量は

非物質エネルギーでなければならないのです。

それが知識であり、真理であります。

知識と云うのは一般の知識ですが真理は特別な知識を言います。

 

一般の知識を備えた上で、真理という知識を人々は探しているのです。

基礎知識が足りないと、真理に出会っても

それがどんな意味なのか解らないから、

その真理を吸収する事が出来ないのです。

 

 2.

知識を備えた事と云うのは、全ての情報が吸収されている事です。

人々が自分の論理を整理し発表したのが一般の知識です。

今の時代に生きる私たちは、

その情報をインターネットを通じて共有しています。

この知識は今までの人類が積み重ねてきた知識が

圧縮され、また積み重ね圧縮され、

これを繰り返しながら現代まで進化してきたのであります。

それが今日私たちに入ってくる知識です。

 

全ての人類が、今まで生きる際に培養した知識が積み重ね

圧縮され作られた最高の知識が現代の知識なのです。

それを私たち皆が吸収しているところです。

 

この高度な知識を吸収する為には、それを吸収出来る

高度な人間がいないといけないのです。

質が良い人間が今の世に生れる事で可能になるのです。

それに使われる肉体も最高に進化したものでなければ、不可能です。

 

今、時代は高度な知識が必要な環境になっているので、

最高の知識が吸収出来る私たちの魂と肉体を生産しているのです。

それで沢山の情報が入ってきても無理なく吸収して要(い)るのです。

 

  

人間の中でも質が弱い人は、質量が高い情報が入っても理解出来ず

そのまま流しています。

知識の吸収が出来たら私たちの魂に定着します。

新しい知識が魂まで届いたら、今までに魂の定着している

知識と融合し新たな知識として作られるのです。

これが私たちの口から出てくる言葉なのです。

 

私たちが、どの位の知識を吸収したかによって

質の高い知識として言葉で整理し、より良い知識が作られるのです。

 

自分自身の魂から出てくる言葉は相手に響いていくのです。

人はこの知識を吸収してまた生産する、

この(いとなみ)営みを繰り返しながら人類は進化を続けているのです。

それで、知識も人間も神も進化してきたのです。

 

人間は人間らしく生きる事で社会から尊重されるのです。

動物のように生きると云う事は、

人間が何者なのかを解らずにいるからです。

人間に相応しい行動をていないから、動物のような扱いをされるのです。

動物みたいな行動をしているから動物扱いにされるのは当然な事です。

なのにそれに対しての気分は決して良い気持ちでは有りません。

 

その扱いを悪く思う前に、何故その様な扱いをされているのかを

考えないといけないのです。

その様な扱いをしている人だけを指すのではありません。

人としての行動をしているならば、的確に尊重されるのです。

社会が私を尊重してくれないから怒るのではなく、

尊重できる様な生き方をしないといけない事です。

 

どうやって?

あらゆる学習をして備えて。。。

 

  

私たちは誰でも、老若男女、解らない事があったら

積極的に一つ一つ学ぶ事です。

それによって、より良い人生を送ることが出来るのです。

明るく楽しく人間らしく、

豊かに生きられる毎日が創れるのです。