SECTION TWO Q&A 2. 開発途上国へのボランティア活動

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Q2.  開発途上国では、内乱と治安問題、不正腐敗などが大変多いので、とても心配です。だからボランティア活動をする人々の安全が保証されないといけませんが、人類の為のプロジェクトにはどのような方法があるでしょうか?

 

  開発途上国に行く時には、お互いに利益を得るように設計をして、その国が間違いなく豊かになるように創ってあげなければなりません。ただ物をあげることが助けることではありません。

 

 お互いが助け合うことで、お互いによくなるのです。人類の為のプロジェクトは、片方が一方的に援助することではなく、その国を立ち上げると共に、お互いに助け合うことです。

 

 そうすることで相手も卑屈にならないですし、私も相手より優位を示さないことで、お互いに相手のために生きることになります。神は誰かは豊かにして、誰かは苦しめるような事はしません。

 

 私達は、お互いに分かち合う力を持っています。だから、お互いの利益にならない設計は大間違いです。今、国際救護団体が開発途上国に寄付と後援をしていますが、それで私たちは開発途上国を助けていると思っています。

 

 しかしそれは、開発途上国を助けているように見えるかもしれませんが、いい暮らしが出来ているとは言えません。海外ボランティア活動も同じです。

 

 海外ボランティア活動をしに行った人が大変な事になったのを見て、私達はそこから学ばないといけません。かつて我が国の医師が開発途上国に行って、貧しい人々の世話をし治療をしているという記事を多く見ました。

 

 しかし現実は、彼らを助けると言いながら生意気なことをしたのです。医師は人々を勉強するために、医術を学んだことを分かっていないのです。アフリカに行ったら患者と接しながら勉強するべきなのに自分勝手にしたのです。

 

 ボランティアの仕事をしたのにもかかわらず、患者の治療中に自分が病気にかかって亡くなったり、交通事故で亡くなる事もありました。良いことをしたのであれば絶対にそのような死を迎えることはありません。

 

 かわいそうな人の為に自分を犠牲にした人が、何故、あまりよくない死に方で亡くなるのでしょうか?これは何かが間違っているのでは無いかと、もう一度振り返って見るべきだったのです。

 

 教会でアフリカに良い事をしに行ったのに、どうして彼らに捕まったり、銃で撃たれて殺されるのでしょうか?ボランティアでも無いのに行ったので、危険な人物だと誤解されて銃撃にあったのではないでしょうか。

 

 教会は海外に開発途上国のために行ったといいますが、これは奉仕ではなく、教会を宣伝しに行ったのです。だから銃撃を打たれたのです。

 

 ボランティアのために行って死んだといいますが、命を惜しんでいることは、偽りでボランティアに行ったという事です。貧しい国のために行くという事は、既に命を捧げていくのと同じです。命を捧げて行った人は絶対に死にません。

 

 私たちは本当の意味で、ボランティアに行ったのかを点検する必要があります。奉仕をしに行くのではなく、偉そうな立場でいったのであれば、後から頭を撃たれたようなことが起こります。

 

 ボランティアを正しくしたら、そんなことは絶対に起こりはしません。学ぶためにいたのに助けるためだと思っていたのです。もはや今のようなボランティアの活動はしてはいけません。

 

 今、ボランティアに行くのであれば正しい考えを持って行かないといけません。ボランティアに行く為には設計をしっかりしてから行くことです。いい設計とは誰でも納得できるような内容であればその国も協力するしかないのです。

 

 その周辺の反乱している国も協力できるようにしないといけません。ボランティアのために先ずは安全の保証をしなければなりません。彼らが理解できるように話合えばすべてが安全です。

 

反乱に闘争している人たちも、私たちの兄弟です。決して彼らを憎んではいけません。

 

 

     参考;THE GREATEST LOVE PROJECT -人類飢餓ゼロプロジェクト編