早期希望退職者

早期希望退職者

 

QUESTION

定年となりました。 退職金をもらえない人もいます。これ以上家族にお金をあげることがあまりないので、家族に捨てられて、国家から捨てられて、組織から捨てられる立場になるのですが、今から何の考えで生きればよいでしょうか。

 

ANSWER

私たちが今まで間違った人生を生きてきたとしても、これからもずっと生き続けなければなりません。間違って生きてきたからといって、今日死ぬことができたらこれは幸いかもしれません。しかし、人間はそのようにはできないように、生まれたのです。寿命が尽きるまで生き続けなければならないのです。生きたくなくてもがいても、不自由な体になってでも生きなければならないのです。

 

けれども、知って生きることと知らないで生きることでは、天と地の差があります。それで私たちはそれが難しいから、教えを受けようと善なる知識を探していくのです。誤って生きると、またたいへんになるからです。

 

何十年間働いてリストラされたり、退職した後、お金を稼ぐために、ある人はスーパーマーケットを開いて、ある人はパン屋を開いて、またはチェインテンを開いて運営したりします。

ある人はアーパトを買って稼ごうとします。その敷金がない人は「警備をやろうかな」、「どこのパートタイムで働こうかな」と悩みます。

20~30年もそうしていたら、自分の頭は石になるのです。石です!

 

ラーメン屋に行って、お店で働いている人たちがどれだけ接客に頑張っていて、その人たちがどれだけお世話をしてくれていたのか、また私たちの世話をしながらこの社会をどれだけ支えてきたのかを勉強すべきだったのです。しかし、その勉強をしていなかったから、この社会にプラスになる仕事をできなかった。一生懸命に生きているその人達が恵みを受けられるようにしてあげなかったのです。

 

職場に入って、社会人になるのは、私たちが各自の素質を磨くためであって、給料をもらって暮らす労働者になるためではないのです。この国には労働者はいません。

我が国は人間らしく生きる人材を育てる国です。社会を正しく見つめながら自分自身の勉強をすべきであって、この国にある全ての環境を経験しながら、自分の勉強にをすべきであったのです。これが社会の勉強です。誰も社会に接して勉強できるようになっています。

学校での勉強だというのは、社会の知識を学んだことではありません。人々が整理してきた基礎知識を教わったのです。基本的な理論を学び、字を書く練習をしたり、レポートを作成することを学んで、この社会に出たのです。それで、この学んだことをどう使うべきでしょうか。社会に出たら、社会学校に入学することです。職場に入ることは社会学校に入ることなのです。

 

私たちが企業と言う社会学校に入るとします。そこに入る前には、まだ幼いから、親に育てるように環境を与えて、子どもに勉強ができるようにしたのです。つまり、 教育のための経費を親にあげて、親の判断で、子どもを育てていくのです。親がいっぱい稼いでくるとそうでないときもあれに合わせて成長していくのです。それで20代になると、理論は学校で全部習ったので、実践勉強のために社会学校に入るのです。ここからは親から経費をもらうのではなく、会社がその経費を負担することになります。

会社は社会のものであって、個人のものではありません。私たちがよく知らないから、会社を個人のものだと思いますがそれは何をいっても会社は社会のものであって、個人のものではありません。

もし、5000坪の土地を持っていても、これが自分のものだと勘違いしてはいけません。私にそれの運用できる資格を与えられただけなのです。これはあなた個人のものではなくて、社会のもの、つまり、国のものであって、民のものであって、私たち皆のものであります。私たちは運用する資格のみ与えられているのです。これが社会なのです。それで企業も社会の企業なのです。全ての企業が社会の企業だということです。

 

人たちが勘違いでいることは“私のもの”だと思い始めてからややこしくなったのです。社会のものだと思っていても、あなたに運用するようにあげたものだから、だれも奪ったりはしません。それが社会があなたに預けただけなのに、それを自分のものだと思い込んでいます。自分個人のものだと思っているから問題が生じるのです。社会があなたに運用をするようにとあげているだけなのです。

 

前の話に戻ります。 私が基礎勉強をしているときは親が面倒をみてくれましたが、社会の勉強を始めてからは会社が私の面倒をみてくれます。

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お金をお願いしてその過程の都合によってお金の加減はありました。庭では私たちに勉強をさせる時には、“お母さん、お金をもうちょっとください”と言っても、“どこに使うの?”と聞かれて、勉強をするために必要な程度だけもらえました。このように親が運用してくれていたのに、会社に入ると、親の代わりに会社が経費を負担するのです。社会で勉強をする時には会社が面倒をみてくれるのです。

 

私たちがこの基礎を知らずに、社会に接したため、失敗したことがあります。これからは若者たちが親世代のように失敗を繰り返さないようにすることで、この社会がスムーズに正しく回るのです。

 

今まで私たちは、社会勉強はせずに、給料をもらうためにだけ会社に勤めたのです。生活前線に出るとだけ思ってしまったのです。だれがら教わったかはわかりませんが私たちは間違った知識を習っていたのです。生活前線に出るとだけ思っていたから、働いてその代価を受け取るとだけ思っていたのです。

そうすることでどうなっているのか。私たちは労働者になり始めたのです。労働者とはどんな者なのか?単純な人を労働者と言います。単純な人は労働者になり、勉強をする人は労働者になってないのです。社会勉強をしようと思って接した人は労働者にはなりません。

 

それではいつまで勉強する人でいなければならないのでしょうか。30代までは社会に接して勉強をしなければならなかったです。30代までは、勉強にかかる費用を会社が全部管理しています。面倒もみてくれて、生活に使うお金までくれています。勉強の費用を自らの責任を持って使うように、私に直接渡しています。そのお金はどのように運用すべきなのかを自分でしっかり考えて、無駄使いにはならないように、毎月毎月、意味よく使う練習をしています。少ないだろうが多いだろうか、経済についての運用の法則も習いながら身に付けることです。

親からはいちいち承諾を受けてからお金を使えたのですが、

会社からは1ヶ月か一年分をまとめて貰って自ら使い分けを決めるのです。自分が立てたプランで実力を備えて成長し、優秀な人材になることです。

 

会社は社会学校です。給料は勉強のためにくれる費用なのです。一生懸命に努力して立派な会社に入ったら、立派な建物を踏んで歩いている大理石一つも全部が社会のものだということに気づくことです。ハーバード大学を卒業したら、勤め先の環境もそのくらいいいところです。これも社会のものであって、個人のものではありません。会社から与えられるものすべてが、社会のものです。良い環境で多くの人との出会いも、この社会が与えてくれていることなのです。

 

自分に与えている環境で社会を分析し、それをまとめてレポーターを書くことが勉強の一つです。

そうではなく、「どうしたらお金をもっと早く稼ごうか?」と思っていて、学生が勉強をせず、お金を儲けようとばかりでいるとどうなるでしょうか。

人という私たちがお金が欲しくてそこにだけ頭を使っていることで今の社会がどうなっていますか。

我が国日本は早くから国際との交流がありました。その情報を吸収しながら学び新しい知識や技術を身に付きました。経済強大国として世界の中心国になっています。しかし、今わが日本は世界の中でどの位置に立ているのでしょうか。

近代に入ってから何十年間世界で最も豊かな国だって日本、今、国民皆が幸せているのでしょうか。

 

今や! 国民皆は社会に出て、30年、40年、一生懸命に働きました。生活全般に豊かになって、欲しければなんでもあるような暮らしを楽しみました。経済成長とともに私たちの収入もけっこうありました。食べ物がなかった時代を乗り越えてもう貧しいのは嫌だと思い、お金を稼ぐために精一杯頑張ってきました。でもそんな長い間働いて、定年の目前としている年になって思うと、本当の自分のために何か勉強はしてきたでしょうか。

 

私たちは知識を学び、內功が充して知恵を使うようにしなければならな買ったですが、学校での基礎知識を習っただけで、その上の勉強はあまりなかったことです。

それで今無知な人になっています。私に寄ってくる出来ことについてうまく処理できる知恵が浮かばないのです。 自分の目の前にいる人が誰なのか知らないです。相手を知らないからやられるのは当たり前です。

 

リストラにされることは、社会学校から外されることです。これ以上は勉強の費用はもらえないことです。社会からの費用であなたを面倒みることはしないということです。その社会勉強の期間が過ぎたことです。それで今、強制的に追い出すのがリストラなのです。

“定年を伸ばして欲しい”といいますが、そうしてはいけません。今も高くなっています。社会に役に立ったないのであれば早めにやめた方がいいです。その人のために社会がずっとお金をあげつづけることは悪い癖を作っていることです。

 

この人たちにあげる経費も社会の費用なのです。一生懸命に働いてもらっているんだと言いますが、そうではないです。あなたが社会で勉強をしながら作り出しているシナジー(付加価値)で、あなたに費用をあげるための 経済が生み出しているのです。未だに私たちが仕事をしているから経済を生み出したことではないです。この原理をわからないといけません。

今からは特に社会に接近するためには正しい心を持って接することです。 会社で長く働いたならばだんだん実力が上がってよりよい知恵で物事の処理をしなければならなかったのが、実力がなくて、あることに対してうまく処理できないから退職になるのです。それにまた勤務時間にサボって、株を見るとか、ゲームをやったりして一生懸命に仕事に勤めてないからです。それで社会学校ではこのような人はいらないから、リストラしたことです。

 

今も一生懸命に何かを頑張っている人は、絶対に追い出されないのです。よいチャンスだけを狙っている人たちは余地もなく追い出されます。追い出す方法にはさまざまであります。 自ずから出て行くようにさせることです。これで社会学校からは卒業したことになります。

 

会社から給料がないからどうやって生きていこうかと嘆息をします。 的確に自分の実力がどのレベルにあるのかを、自分の口で言っているのです。これが今の自分の質量のレベルを表しているのです。

学校をちゃんと出て、立派な会社に入って、心配のない費用も頂きながら、社会にあるすべての環境も与えたのに、50代になって、「これから何をしたらいいのか?」と心配するのでしたら、これは今まで勉強もしてない、知識も備えてない、努力もしないで給料をもらるために通ったことです。

無知な人間になったのです。「何で食って生きるか」との心配は「私は人間ではなく動物です」と言っているのと同じです。つまり、人として、弘益人間として成長できず、ただ食べることしか考えないものになっていることです。

 

私たちが正しく成長したことは、ただ生きるため、お腹空かないため、生活のため悩むのではなく、「私はこの社会に必要な存在なのか?この社会のために何をすべきなのか?」を考えるようになることです。これが成長した人間の考えであって、成長につれマインドが変わるべきなのです。

 

老後のことが心配です。なんの心配ですか。死ぬまでどうやって生活するかの心配でしょう。。。これは 人生を失敗したということです。動物のように食うだけで精一杯で生きたことです。

それでは老後のことで悩まないためには何をしたらいいでしょうか。この社会に私は必要なのか、必要でないのかをまずチェックしてみることです。社会に必要な人間として成長していたら、老後は心配しないで済むわけです。

水泳をしたり、ゲートボールをしたり、 “よっしゃ、よっしゃ”と声を出しで健康でいられることがいちばんだと、死ぬまで怪我がないように気をつけながらスポーツやダンスや歌を歌いながら楽しく生きればいいと、みんな言っています。これで本当に満足でしょうか。これで本当に幸せの死なのでしょうか。

 

年を取ることは 社会の大人になることです。大人です! 今日こんにち、この社会に 大人がいるでしょうか。自分だけ楽な生活ができれば良いと思っている人はいますけど、真の大人と呼べる人はいるでしょうか。

50になるとこの社会の大人として 登場しないといけないです。大人といえる人は子どもたちにいい話をしてあげたり、後輩に良い道を導いてあげることです。教えてあげる立場であることが大人としての活動をしていることです。子どもは教えることはできないです。大人になってから、後輩や、我が子孫たちを導けるのです。これが、大人がこの世に必要である理由です。自分の生活だけ考えている大人は、この世に必要な存在ではありません。

 

社会を導くために努力すると、社会を導けるように、大自然からそれに必要な力を与えてくれます。これが神々がやってくれることなのです。この社会を導いてくれる大人になって生きるためには、少なくとも、「この社会のために自分にできることは何なのか?」を常に考えておくべきです。

 

今の社会は秩序が定着しています。お金を儲けるために投資したいけれど、 そう簡単には儲けられないようになっています。ですから、「この社会で自分は何をすべきなのか?」を考えでいると、 自分のやるべきのことが見つかるようになります。

 

例えば、喫茶店をオープンしたいのであれば、お金を儲けのためではなく、店に来るお客さんのために何をしたらいいのかを先に考えることです。私の失敗した経験談を話してあげることもその一部です。後輩が私みたいに同じ失敗しないように努めることが社会のためになることです。 人に正しく接することが社会のためになることです。そうすることでこれがいい噂になってもっともっと人が集まることになるのです。

 

私の店にきてくれるお客さんが何かは得するための最善を尽くすことです。

「お客さんがこれからこの国の指導者として成長するために、私が少しでも力になろう」と考えるように、社会に必要な仕事をしようと決めたら、お金を欲しがらなくても自然に入ってくるのです。「お客さんが来ないから、生活ができない」との悩みはなくなることです。社会に必要な人間になろうと努力していると、その努力の質量の分、経済的なものが入ってくるように手伝うのが、天神なのです。

お客さんがわが店に来ていい時間を過ごし、再充電して頑張るようになったならこれが社会のためになることです。

この小さなことが大したことではないやと思うかもしれませんがその考えで生きる人がだんだんと増えることで我々の社会は変わっていくのです。

これが社会運動であり、地域活性化であります。