*良い人生を終え方(Well-dying)

良い人生を終え方(Well-dying)

 

 年齢とは関係なく、死は訪れて来ます。

 ある日突然のことで、事故にあったり、自然災害にあったり、

 また、末期の癌だと聞いたりして

死の準備を何もしてないのにいきなり来るのが死です。

 

私たちは、みんな安らかに死を迎えるのを望んでおり、

 同然の事ですが、人生をより良く終えなければ悔いが残ります。

 

 

 私はある日、突然死ぬのではなく、

自分の死ぬ時期を前もって知り

それまでにやらなければならない事をキチンと整理して、

また体も清潔にした上で穏やかに死ねたら良いと思っています。

 

 

 今では寿命が長くなり、

100年前後を生きているようになりました。

 長く生きた事が重要ではなく、

生きている間、どのように生きたかです。

 

 死ぬ直前、その最後の時間に持っていた思いや考え、苦しみが

自分の歩んできた道を整理したものであるのでその最後の思いが

停止してそこで留まる事です。

そこで何かの執着や未練が残っていたら

 その執着の重さが4次元の世界で自分の重みになる事です。

 

 死に関しての話は多くありますが

科学的に証明されることはまだそんなにありません。

 

 人が死んだら肉体はこの地球の自然系に戻りますが

 本来の自分である魂は消滅することはありません。

 人間とはこの地球に生きている動物とは違います。

大自然のエネルギーの一つ一つの元素です。

 この大自然に残らなければならない元素であって

消滅されてはいけない存在なのです。

 動物と同じように見えるこの人間の肉体を借りて、

この3次元で生きていますが

 肉体から離れると私のエネルギーは4次元で生きることになるのです。

 人のエネルギーである、人間の気である魂という元素は

消滅するエネルギーではないからです。

 

 人気である私がこの大自然のエネルギーの中で、

今、どんな次元(3次元なのか、4次元なのか)に

住んでいるのかが違うだけです。

 ただ、私たちは今この肉体にある目で見えるこの世界でいる事で

目に見えない、あの世界はまだ知らないでいるだけです。

 

 私たちが人間の肉体に入る前には大自然の元素のエネルギーで

 大自然を運営する主体の細胞だったのです。

 ところが、これが濁って誤った事が起きたため

今の3次元に濁ったエネルギーが集まって来ている原因なのです。

 

 数億劫年前にビッグバンが起きて有限世界が創られました。

 それで天地創造が起きたのです。

 私達すべてが濁りのオーラがなくなって澄む日が来たら

 私達全てのエネルギーは元の場所へ帰る事が出来るのです。

それを原始返本、元の世界に戻る事をいいます。

 その際、3次元のすべての物質は目に見えないほどの微細な

粒子に分離され、元の大自然系に戻ります。

 

 霊魂気である私たちは、大宇宙を自ら運用する元素の細胞なので

 主体になる元素達が住んでいた本来の世界に帰れなければならないです。

 

 有限世界が作られてからまだ数億年を進化発展して

 人間の肉体が作られました。

この人間の肉体にある6006穴を通して、

 この核心である元素が入っていく事が出来たのです。

 この元素が肉体に入った事で人間になりです。

人間のエネルギーが人間の気なので人気と言います。

 

 最初は元素が肉体に入って生きます。その元素が人生を一度終わって

肉体と人気が分離されると、すなわち死にますと

元素が元素ではなく魂になるので霊魂気、霊魂神になります。

なぜなら肉体で生きたから色々な思考の余りが残るからです。

 

 人が自分の人生の全てを存分に生きなかったなら

その魂は、4次元の世界で、ある時間を過ごした後、

 再び肉体を貰って自分に一番ふさわしい環境に

人間として生まれてくるのです。

 2回目からは元素ではなく人気になって

人生を生きる事です。それで死んだら霊魂気、霊魂神で

 4次元の世界を生きるのです。

 これを私たちは輪廻といいます。

 3次元と4次元を行き来しながら、人たちは自分の魂を

 澄んでいくのです。

 

 私たちは、この生を生きる際、恨みを持っててはいけません。

 自分が持っているすべての実力で

 この世界の子孫と人類のために

 すべての行を燃やしていく事で自分の業がなくなります。

 他人に得になることをしないといけません。

 私が精一杯頑張って良い社会を作ったなら

 次の輪廻には、その良い社会で生まれ、

その環境で自分の質量を自由に大きく広げる事が出来るようになります。

 

 周りのために社会のために

 国のために、人類のために

 私はどのような努力をしていたのか、

 この社会で私は必要な人として生きていたのかが

 立派な死を迎えるかどうかの尺度と言えます。

 

 大人になっても自分の質量に合わせたことができないで

いる事は、楽しく生きてない事です。

 痛みを耐えながら死ぬことは、その痛みの辛さで停止してしまうのです。

 認知症で死んだなら、その魂は、認知症の状態で停止しまいます。

 

 自分の子供だけ大事にして生きたならば

自分の子しか知らない人に留まるのです。

この世で生きたその感覚のままあの世でも生きるのです。

 

 周りのために社会のために生きたならば

社会に力を与える神になります。

 国のために生きたなら国に力を与えることができる神になり、

 人類のために生きたのであれば人類を導くことができる神になります。

 

 私たちは、どのような人生を送ったかによって

どのような神になるのかが決まります。

 

人生の仕上げの段階では、相手にどれ程、得になるように

生きているかを考えなければならないです。

 お金を稼ぎ、死ぬまで楽な暮らしのために頑張るよりは

 自分の質量にふさわしい生き方で楽しく生活をした方が良いのです。

そうすれば私達の人生は快適に終わりを迎えるのではないでしょうか。