SECTION FOUR韓国の未来,人類の未来-6.人類福祉社会の建設

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人類福祉社会の建設

 

人類の為の事業の目的は、究極的には人類福祉社会の建設だと理解しています。人類の為の事業を通して、人類の福祉はどのような形で実現されるのでしょうか?

 

 

私たちは、外に向けては人類の為の事業をし、中に向けては福祉に対する新しいパラダイムを研究しなければなりません。しかし今、先進国は福祉の問題でジレンマに陥っています。他の国の方法を真似てみたり、各国が情報交換もしているにもかかわらず、なぜジレンマに陥っているのでしょうか? 

 

 

これは管理事業を福祉事業だと思っているからです。私たちは今、福祉社会を建設するために、とてつもなく大きな投資をしていますが、実はこれは事業ではなく管理をしているのです。つまり福祉受給者を管理しているだけなのです。それで今、福祉受給者が増加するにしたがって国が管理する対象も多くなっています。みんな福祉にしがみついている状態なのです。

 


多くの知識を学んだという博士たちも、どのように管理すべきかを教えるのが福祉教育だと言っています。高齢者にどうやったらお金を少しでも多くあげられるか、どんなプールを作ってあげたらいいか、そういうことだけを研究している研究者たち。自分の人生もまともに生きられず、孤独で死にそうだというのにプールを作ってあげたら、その問題が解決されるというのでしょうか?

 

 

今、私たちが持っている福祉の概念は生活が大変な人にパンを与え、家を建ててあげることです。しかしこれは本当の福祉ではありません。今、国際社会は、どうしたら福祉社会が実現できるのかという福祉の概念を見つけられずにいます。部分的にでも、福祉の概念を見つけ出していれば、世界はすでに福祉社会になっていたはずです。

 

 

しかし、それを見つけ出せていないので、未だに福祉に対して論じたり、福祉社会を実現しようと努力しているということなのです。福祉の概念をなぜ見つけ出せないのでしょうか?  それは70%まで成長できていないからです。知識の質・量と社会の質・量が70%まで上がらなければ、本当の意味での福祉に手をつけることができません。

 


人類が70%の運用を終えた今、未来の福祉を見つけ出せなければ、未来への道は一歩も開かれません。すると人類には再び混沌の時代が訪れるでしょう。しかもそれは瞬く間にやってきます。

 


福祉社会というのは人が楽しく暮らせる社会のことです。だとしたら、李健熙 ( サムソングループ )  会長のようにお金がたくさんあれば楽しいでしょうか?  彼の息子である李在鎔 副会長は楽しいのでしょうか? お金がたくさんあって家を何軒も持っているからといって楽しいでしょうか? 少しも楽しくないでしょう。

 

 

ところが、少し財産を持っているからといって、ヨーロッパの景色のいいビーチに寝転がっているのが楽しいと思う人たちがいるのです。しかし、これは遊んでいるのであって、楽しんでいるわけではないのです。こういう人たちは持っている財産を正しく使わなければ、将来、いつの日か滅んでしまった時に泣きを見ることになるでしょう。

 

 

私たちが高度成長を成し遂げる過程で、疎外された人々が出てきました。彼らはどうやって生きていけばいいのか分からずに苦しんでいます。つまり、彼らは疎外され放置されたがゆえに、社会に適応できず苦しんでいるのです。彼らが正しく生きて行くための原理教育、つまり、国民が恩恵を受けられる真の教育をしなければなりませんでした。

 

 

学校教育というのは、社会を構成するための基本的な教育にはなっても、人生を正しく生きるための真の教育にはなり得ません。真の教育とは、人生を正しく生きて行くための人格教育のことですが、これが抜けているが故に  誰もが自分の主観だけで生きているのです。

 


人に会わずに生きて行くなら、自分の主観だけでも生きていけるでしょう。  けれども、第2次世界大戦以降に生まれた私たちは、人と触れ合いながら成長してきました。ですから私たちは、人と人が会ったら何をどうするべきかを知るべきです。人間と人間の関係は相対的なものであり、相手がいてこそ自分の人生が変わり、相手がいなければ自分の人生は変わらないということです。

 


教育を受けるということは本来、実力を蓄えるということです。ところが私たちは、理論教育を受けました。それでお互いに自分の理論を主張しているのでぶつかりあい、融合できないでいます。今日の大韓民国が、まさにこのような生き方をしているのです。

 


人間は、どんな思考を持っているかによって、人生の質と量が良くもなれば悪くもなります。けれども、自分がこうしたいと思ったら何でもできるのではなく、蓄えた実力の分だけができるのです。ですから、これからは特殊な勉強をさせなければなりません。そのためには知らないことを教えなければいけません。

 

 

そのために私たちがまずするべきことは、知識ボランティア、つまり、彼らを教える教育ボランティアです。他のことはすべて、その目的のための手段なのです。ここで知識ボランティアとは何かについて話してみましょう。

今現在、苦しんでいるのなら、なぜそうなったのかについて原理教育をしなければいけません。

 


たとえば、障害者を見てみましょう。  障害者が厳しい人生を生きるようになったのは、理由があります。それは何でしょううか?  性格が頑固だからです。 自分の思い通りにならないからと言って怒りながら生きているから、人生が辛くなったのです。障害者になってもまだ我を張っていると、もっと大きな障害やもっと大きな苦痛がやって来るのです。

 


貧しくなったことにも理由があります。それは質の低い考えをしているか、一方に偏った考えをしているからです。考え方のレベルが低いため、いかに食べていけるか、または反抗的な考えをしています。

 

 

ですから、学ばなければ貧困に陥るしかないのです。貧しい家庭で生まれた人が、出世だけに目指していくのは、正しい教育を受けてないからです。貧しい境遇に生まれたとしても、恨まずに様々な経験を重ね、それが勉強になるということを教えなければいけません。

 


貧しい境遇に生まれた人は、様々なことを経験して成長していきますが、それを恨んでその境遇を避けて生きようとしても、後で大人になってから、とてつもない苦労をすることになります。また、裕福な家庭に生まれたのなら、" 自分よりも貧しい人々をどうやって導き、運用するべきか?   

 

 

彼らのために何をして輝いて生きるべきか? "  を考えられる教育を受けなければいけません。そうしてこそ、大きく輝ける人になれるのです。そのように賢い人でも、今はとても厳しい生活をしています。なぜなら、社会教育を正しく受けられず、自分だけが賢いと思って人と接しているので、仕事がうまくいかないのです。

 

 

今の社会は頭がいいだけでは何も変えられない社会です。頭がいい事と実力がある事とは別なのです。これからは教える教育事業をするべきです。これこそが本当の福祉事業だといえます。何をおいても教えなければいけません。

 

 

今、孤独でいることは自分が間違った生き方をしてきたからなのであって、人のせいにしてはいけないことを教えるのです。そして他の人が自分のようにならないようにするのです。これこそが、社会のためにできることであり、人生の生きがいにつながることなのです。

 


社会は、私たちが大変な時、この原理を正しく教える教育をしなければなりません。そして反省したら、次は後押ししてあげなければいけません。希望のある人生をどのように生きて行くか、それを考えるときにこそ、国というのは健全になり、私たちの生きる道も開かれてくるのです。

 

 

私たちは今、国際社会でまだ見出されていない新しいパラダイムを提示しなければなりません。この新しいパラダイムがこれからの人類における知的財産になるはずです。この福祉新パラダイムは、先進国にも、後進国にも必要なものです。これから一つ一つ出てくるのです。そして新しいパラダイムが出てくるたびに、とてつもない経済効果が生まれ、それによって福祉事業は十分展開できるでしょう。

 

       参考;THE GREATEST LOVE PROJECT -人類飢餓ゼロプロジェクト編