謙虚な人

謙虚になるには

一つ方法しかありません。

相手を尊重すること。

ひたすらこれ一つです。

 

幼い子どもでも尊重することです。

醜い人でも尊重することです。

これが謙虚なのです。

 

謙虚するために

謙虚のするために私自身が相手に何かしようとする必要がありません。

ただ相手を尊重してあげることです。

 

相手のみっともない行いも、

その人は自分のできる限り努力してやっているのです。

なぜそこまでしかできないのか、

なぜそんなに醜いことしかできないのか。

 

その人はそれくらいしかできないから

そのようにやっているのです。

 

醜い行動をしたいからやっている人は、

この世には誰もいません。

 

上手くやりたいけど、

自分の容量がそれくらいしかないからです。

ですのでありのまま受け取って認めることです。

 

他人の足りないところが見えることは

自分がそれくらい上に立っていることです。

 

そんな人であるとしたならば

自分が知っていることを

どうしたら相手が傷かないように、

相手がお世話にならないように

伝えてあげるかを常に考える人でないといけません。

 

もちろんすぐには役に立つことはできあいかも知れません。

でもいつも考え、また考え、また考えた故に、

ある日、知恵が湧いてくるのです。

 

本当にその人を尊重し、

見えないところから少しずつ補うことができるように

心配りをすることで

本当の助けになるのです。

そのとき、相手が真心からありがたく思えるのです。

 

嬉しく思うそのエネルギーが相互交わって、

そこから力が湧いてくるのです。

これが謙虚に生きる原理なのです。

 

周囲をよく見てみてください。

尊重しないといけないようになっているのが

私たちの人生です。

 

掃除をしている人がいます。尊重します。

質の小さい仕事をしているからっといて

蔑んでるのは良くないことです。

 

掃除をしているところのよこを通りました。

汚い水が私にはねてきたのです。

イライラします。

 

水がはねるところに私が近ついていたのです。

掃除をしていた人が

私が近ついてくるのをみて

わざと水をはねたのではないです。

それに気づくと怒る必要がないことです。

 

むしろ自身が申し訳ないことなのです。

掃除する人を申し訳ないことを作った

私の方がもっとご迷惑をかけたことなのです。

掃除をする際には水を使うことなので

水のはねは当然起こることなのです。

自身が注意することが

相手を尊重することではないでしょうか。

 

ある人が椅子を熱心に作っています。

私から見るとその作り方ではうまく作れないはずです。

しかし熱心に作っていることを

私は尊重してあげないといけないのです。

 

あれの仕方でやるとうまくできないことが見えても

そのできる方法がわからない時は、

それをみていることしかないのです。

 

それはいけないことだというのが見える人であれば

それはその人の上にいる人です。

しかし役に立つことができないことは

ただ上にいるだけで何もないです。

 

間違っていることはわかりますが

その誤りを解決できる実力がないわけです。

 

相手のできないことに対して

叱って蔑んではいけないでしょうね。

解決できない私がバカなのです。

 

そうするとダメだよっと、

こうしたらいいのにぃと言っている人は

いつももどかしい気持ちでいられるしかないです。

 

間違ってることが目には見えますが

それを解決する実力がないからです。

実力が足りないことを素直に受け入れて

解決できる人になれるように

努めることが

これがまさしく謙遜で生きる人なのです。

 

 

 

 

 

分かって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深く考え、また考え、また考えた故に

心の傷付けないように