*他人の欠点がよく見えてしまう

他人の欠点がよく見えてしまう

 

相手の欠点が気になる私は「それは止めたほうがいい」といつも指摘していました。

今ではそこまで人に対して指摘する事はありませんが、

まだ心の中では「直せばいいのにな」と思ってしまいます。

相手のために言うべきなのか、

それとも心の中で思っていても

黙っているべきなのか迷ってしまいます。

こんな時はどうしたらいいでしょうか?

 

 

普段、私たちは人と接する際に、様々な問題を感じることがあります。

その問題を感じ取る人にはそれなりの理由があります。

ほとんどの人がその理由に気づいていません。

自分が正しいと思うので、相手だけを注意しようとしてしまいます。

毎回その人に注意するばかりでいると、自分の欠点は見えなくなります。

相手だけが間違っていると思い込み、他人の矛盾だけが気になります。

そんな風に生きていたら自分自身も段々と上手くいかずもどかしくなるのです。

本来なら、成長し続け、余裕がある質の高い人生を生きるべきなのに、

他人の欠点ばかりに囚われることで人生の質を下げているのです。

 

 

私たちは誰でも質の低い人生を生きたいのではありません。

私たちは一人ひとり違う人生を生きています。

偉業を成し遂げて立派に生きる人もいれば、

平凡に生きる人もいます。

でも本来、立派に生きるべき人が、

一般のレベルでとどまって生きているとすると、

その人はとても悲惨な人生を送っていることになるのです。

本来そのような人はしっかり勉強し、

自分を成長させる必要があります。

しかしそれができず、

一般の人と同じ考えでいるからレベルアップできなくて、

 人の欠点ばかり見えてしまうのです。

 

他人の欠点がなぜ見えてくるのでしょうか?

その人と貴方は、人としての質量が違うからです。

他人の欠点が見える人は人としての質量が少し上のレベルにいるからです。

一般の人がしばしば欠点を抱えるのは一般の質を持っているからです。

 

例えば、背が高い人がいます。その人は背が低い人がよく見えます。

その逆だとよく見えないです。

それと同じように他人の欠点が見えるということは

その見る目線が少し上のレベルにいるから その下が当たり前のように見えることなのです。

下からは上は見えません。

 

相手の欠点が見えたのなら、

その人より上のレベルにいるのに、

相手を正しく導けないのであれば、

その問題を口にするべきではありません。

正しく導けないということは、

自分の実力が足りていないということです。

ですから、欠点や問題が見えたとしても口を出さず、

謙虚に注意深く観察することです。

そうすることで、なぜその問題が見えたのかが

分かるようになります。

そうすると相手の気持ちに合わせて教えることができる人になるのです。

そうすることで自分のレベルが上がるのです。

 

相手の問題行動を見て「なんであんな風に生きるんだろう?

こうすればいいのに...」と思う人は絶対に成長できません。

何十年も同じことを繰り返しながら、

本来のレベルに行けずにそういう人たちと同じレベルで生涯を終えます。

 

 本来の自分の人生を一回も生きられずに、一段飛び越えることなく、

人生を浪費してしまうということなのです。

これはとても恐ろしいことです。息苦しくてつらいことです。

問題を感じたり、他人の欠点がたくさん見えているのにも関わらず、

自分が成長できていなくてその人たちを正しく導いてあげられないからです。

正しく導いてあげられなければ、問題行動をする人が

どんどん増えていきます。そのような場面に遭遇することが増えていることは、つまり、あなたのレベルを上げるための勉強の機会が

何度もやってきているということなのです。

 

質の高い人、一人が育つために一般の人は

どれくらい苦労をしているのかを考えたことがあるでしょうか?

気運の高い人を目覚めさせようと、たくさんの人が犠牲になって

問題を作って、その問題の中で大変な人生を過ごしているのです。

その矛盾から悟り、世間の人たちの生き方を変えることができる人が

1人でも現れれば、すべての国民は救われます。

 

なんの勉強もせず、問題行動している彼らの事がわかっていないと

干渉ばかりしているだけになるのです。

そうすると一般の人たちの人生も無駄になってしまうのです。

そればかりか、干渉されたことに不満を論ずることで、

人間関係もうまくいかなくなるのです。

本来ならば、一般の人から尊敬されるような人として生きるべきなのに

それができないから苦しく悩んでいるのです。

実は一般の人が過ちの人生を送っているのは上の人の責任なのです。

上の人が問題点を教えようと注意をします。言われた人はその場で理解したように頷きますが

後から罵って影口をたたくのです。この様な時、上の人は優しく諭してあげるべきなのです。

 

 

矛盾を感じた時、それに対して解決できる方法が分からないのなら

自分の課題としてぐっと我慢し、勉強することです。

100日間謙虚にいれば見えるものが少し変わってきます。

また3年間祈るように勉強すれば色々なことが見え始め、

7年間黙って努力し続ければ、どのような相談にも

的確にこたえることができ、正しい人生に導いてあげることができます。

このような概念ができるとあなたは社会に大きく貢献できるようになります。

あなたに相談し、正しい人生を生きられるようになった人が増えることで尊敬され、先生として慕われるようになります。

 

このような人生を生きる気運を持っているにも関わらず、

人の間違いを目の当たりにした時、「どうしてあんなふうに生きるのだろう?」といって蔑視し、人を無視すると正しく成長できず、結局その人々に振りまわされながら

生きるようになるのです。自分の発展はないわけです。

 

 私たちはみな、自分の役割を全うするためにこの世を生きています。

その中で頭がいい人と気運が大きい人がいますが、

その人たちは一般の人たちの苦労によってここまで成長してきたのです。

 だから成長させてくれた人たちのために生きなければなりません。

つまり、他人の欠点が見える人というのは、

間違いなく上の気運を持っているからなのです。

そういう人たちは自分の役割をきちんと果たしていかないかぎり、

今の困難から抜け出すことはできないと言うことです。