*いっさい怒りを覚えないためには

*いっさい怒りを覚えないためには

 

相手が侮辱的な発言をしたり、目に障る行動をすると、

怒りを覚えます。この怒りを感じなくするには、

どのような心構えでいればよいでしょうか?

 

怒りを我慢するというでしょう? 

怒りを和らげるということは、その感情を一時的に押さえているだけのことです。

怒りをいっさい覚えないためには、二つの方法があります。

怒りをいっさい覚えないようにするか、

または怒りを覚えてもそれをコントロールする方法を知ることです。

そのためには、自分がなぜ怒りを覚えるのかその原理を知る必要があります。

怒りは我慢するだけでは無くならないのです。

その原理を知ることで怒りを覚える必要もなくなるのです。

 

相手からいやみを言われたら怒りを覚えます。そうですよね。 

だからなぜ、相手がいやみを言うのか、この原理を私たちは掴む必要があるのです。

 

自分が正しいと普段から思っていても、その中には誤りもあるのです。

その誤りが小さい時は、あまり目立たないですが大きくなると外に現れ出て、

それがエネルギーとしてたまるのです。

自分も知らないうちに、やったことが、

消滅されずにこの世に確実にたまっていくのです。

その小さな誤りが溜まったら、ついには良くない事が起こるのです。

これが相手が汚ない嫌な言葉を使って言ってくれる私へのメッセージなのです。

 

今はいやみだけが耳に入るでしょうけど

この原理をよく知らずに無視してしまうと、

その誤りの量が段々と多くなり、そのいやみが露わになるのです。

誤りが抑えられないほど溜まってしまうと、

とうしようもない大きな事故に繋がるのです。

 

なので、相手が私を怒らせていることは本当は私を助けていることなのです。

つまり、私自身の状態を教えてくれているのです。

誤りが少ないとき自分を正しく生きるために努力するべきなのです。

 

相手が私を怒らせると誰が辛いですか?

相手が私にいやみを言って私が怒りを覚えたら、

私が苦しいだけで相手はそんなに苦しくありません。

その辛さを比較してみると、私と相手の割合がわかります。

ここで3:7の法則が当てはまります。

悪口、いやみを言われて怒りを露わにする私には70%の過ちがあって、

その役割のために現れた相手には30%の過ちがあるのです。

つまり、相手はその役割を果たすために現れたのです。

相手も私にいやみを言うことで私からの何らかの返しが

返って来るかも知れないけれど嫌みを言っているのです。

しかし相手は私ほど怒りを覚えてはいないです。

私たちがその出来事について見分けられないだけで

大自然の法則は間違いのない働きをしています。

 

相手がいやみを言ってきたら、ああ、あの人が

悪口を言われるぐらい私に何か過ちがあるかもね。

我慢できないぐらい溜まっていたのかもね、と自分を振り返ってみることです。

いやみを言わせた私が申し訳ない気持ちで、

自分の過ちに気づくことができたら、私は一歩前に進むことができるでしょう。

 

他人が罵っている度に怒りを覚えていたら、

いずれもっとひどい怒りが迫ってきます。

これは愚かな行動なのです。

相手が私のために来てくれていることに気づくことです。

今までの習慣があるから、急に怒りを覚えるときもあるけれど、

心を引き締めてありがたい存在だということを思い出してください。

すぐには大変かもしれません。

でも、 落ち着くようになったら、その人を罵倒せずに、責めずに、

感謝の気持ちでいることが大事です。

 

そうしないで、その人のせいにして、悪口をしていたら、

また苦しい羽目に陥るだけです。

しばらくは大自然が見守ってくれるので、困難は近つかないのです。

でも時間が経っても嫌ってばかりで、自分の過ちに気づかないままにいると、

とてつもない困難が起こります。

これは多くの人が経験したことだと思います。

 

相手が怒っている時、私に怒りを感じているなぁと思い、

それを受け入れてはいますけれど

そんなに私は怒りを覚えないです。

それはどのように受け取った方がよいでしょうか。

 

相手が怒っているから「あ、怒っているんだ」で終わらせると、

自分の勉強にはならないのです。

「そうだね」だけで終わってはいけません。

その内にある原理が何かを知らないといけないのです。

相手が私に怒るとき、自分が相手に直接なきっかけを提供していなくても、

どこかで過ちを犯したことがあるんではないかと振り返ってみることです。

すぐには理解できなくても、この原理がわかるようになったら、

怒りを覚えても少しは落ち着けるはずです。

その言葉を思い浮かべて「ああ、それもあり得ることだ」と、

その起こった事の原因を私から探してみることです。

つまり、「私の悪い癖を小さなことから直していこう」と自分の宿題にすることです。

 

そうすることで、何が変わるのでしょうか。

私は他人の悪口を言わなくなります。他人のせいにしなくなるのです。

困難が私に来なくなります。

自分を振り返って勉強しようとするので、大自然が助けを始めるのです。

天が私を助けてくれるのです。神が見守ってくれるので良いことが

いっぱいで楽しい人生が送れるのです。

 

私たちは苦労をするためにこの世に生きているわけではありません。

ちょっと気にいらないからといって怒りを露わにしたら

自分が楽になれると思いますがそれは絶対にそのようにはなりません。

怒りがたまるだけで、もっと悪化するだけなのです。

怒りを覚えたら、その原因を自分から探すことです。

誤ったことにきづくための努力をするだけでも、少しずつ良くなるのです。

ですから、他人のせいにする人、陰口をしている人、責める人は、

困難と遭遇するだけなのでそれは忘れてはいけないことです。

 

大自然は相手に対して悪口や他人のせいにする権限を私たちに与えていません。

相手が私にある行動をする権限はあっても、私は相手に対して口だす権限は持ってないのです。

与えられてもない権限を行使しているから、これが悪くなっていくのです。

余計なことをすることで与えられている良い条件まで自ら捨てしまっていることです。

 

QUESTION

私たちの周りにはしっかりしている人、不器用な人、

センスやウィットがある人とない人、勤勉な人、

器用だけと怠け者等、さまざまな人がいます。

性格が合わない人との葛藤で悩むことが多くあります。

解決出来る方法があるでしょうか。

 

私たちは一人でいると葛藤で悩みことは絶対に起こりません。

2人になるとそれは起こります。 3人になるともう少し複雑になります。

10人になれば、もっとより複雑になります。

人はそれぞれの素質があって、特技があって、長所と短所があります。

ある人が怠け者だとして、使えない人間のように見えても、

別のところで役立ことがあるのです。

これは長所として捉えるべきであります。

組織の一員として大事な役割を果たしています。

ですから、怠け者だと責めてはいけないのです。

 

メンバーが多い団体の生活で、目立つ程怠け者があったら

その人はそのうち自ら去って行きます。

心配しなくても良いです。自然にそのようになるのです。

これも3:7の法則で起こります。

3割の怠けでは絶対に去らないのです。

怠けるのが6割まで目立つようになってもまだです。

7割を超えたら自ら去るようになるのです。

7割まで至らないと何も起こらない境界線があることです。

 

私たちが過ちを犯すことにも見えない線が存在します。

3割の過ちはその周りで解決できる範囲ですが

これが7割を超えると解決できなくなるのです。

自動的に除かれるようになります。

ですから小さなことは大目に見てあげて、

お互いに分かち合ってこそいっしょに前へ進めることができるのです。

良い点と悪い点が共にあるということなのです。

 

勤勉だからといって、何でもできるわけではありません。

また賢い人だからといって何でもできるわけではありません。

一員としてバランスよく働けるようになるために様々な人を揃えて、

その中からあなたを勉強させるいるのです。

私たちがこの原則を分かれば自分が他の人より頑張ったから

損したと思うけれどその人が必要な時が必ず来るのです。

その人がいないと困る時が来るということです。

みんな自分の役割を果たしていることです。

勤勉な人は勤勉な性格一つで、

失敗してもあまり目立たないという長所があることです。

このように皆が長所と短所を持っています。

 

ところが、怠け者は何か話す度に、いつも憎らしいことばかり言います。

口調も皮肉っぽいです。きれいな言葉はあまりなく

文句のような言葉使いでまた嫌われるのです。

これもまたその人の役割を果たしていることなのです。

あの人が皮肉なことを言ってくれないと、

私はそれに気づくことができないからです。

耳障りな話しは自分に必ず必要な言葉なのです。

 

今は怒りを覚えても、しばらくはこの話は思い出してください。

それに気づかずに通り過ぎたら悪いエネルギーとして溜まるばかりで

今よりもっと大きな困難になるところだったのです。

その時、「私は何か間違ったのか」、「何を悪いことをしたのか、

その原因を自ら探して、みずから正すべきなのです。

こうすると大自然は褒めますが、3日経ってもその人のせいにしていると、

大自然はあなたに背中を向けます。

もっと大変なことであなたを気づかせる 準備をするしかないです。

そこまでとなると自分には良いことは何もありません。

 

この世には原因無くして起こることは一つもありません。

これをよく分析してそれを薬として使ったら、

健康は好転し力が湧いてきます。

そうしないと気力は落ちて時間が過ぎても良くなることはありません。

私たちはみなその流れを分かってないから困難にぶつかっているのです。

 

私たちは他人の行動に対して意外に関心があるようです。

関心がやり過ぎると干渉に繋がるのです。

あなたこそしっかりしてと言うのは

個々人が自分のやることをしっかりやっていけば

何の問題なくすべてがスムーズに行うようになります。

私がいけないことをしているとそれと似ている人が寄ってきます。

辛いことばかりしている人、悪口や陰口を言う人、他人のせいにする人、

おしゃべりが大好きな人が似たもの同士で仲間を作って遊んでいます。

そうするとどうなると思いますか。

その仲間みなは大変なことになります。

 

ある団体に入ったとき、そのメンバーは私にはいやみは言わないけれど、

他人のせいにすることが多くあるとしたら、

できる限り早く立ち去るようにしてください。

そうでなく首をうなずいて聞いていることはその仲間と遊んでいることと同じです。

同じく共犯者になっていることなのです。

どこの集まりに行こうとしたら、まず他人のせいにしているところなのか、

人をほめる所なのかを察することです。

人をけなして、責める仲間だということに気づいたら、

いくら寂しくでもそこから出てきてください。

曖昧にいるとその仲間と同じ扱いで大変なことになるのです。

共犯になっていっしょに叩かれると悔しいです。

常にある状況の判断力が必要なのです。

 

私たちが綺麗な水の中で3年ぐらいいると、知らずに清くなり、

濁った水に3年ぐらいいると、知らずに汚れるのです。

目に見えるほどではないものの、確実にその環境に染み込んでいくのです。

私だけがそこから抜け出しても、そこの環境が良くなることではないですが

私だけでもその場から離れることが優先すべきです。

いけないことが好きな人はそれを充分楽しむしかないです。

人は苦労を味わってないと気づかない時があります。

困難にぶつかるまでわからない時がありです。

なので気づくまで放って置くしかありません。

とてつもない困難に直面すると他人のせいにする暇がないです。

生きることに精一杯なので人とお茶いっぱい飲む余裕がないのです。

大変な状況に陥っていることはいけないことをしたからその結果なのです。

いけないことが何かを学んで酷い目に遭わないようにしていきましょう。