家族が経験する苦しみ

家族が経験する苦しみ
QUESTION
5回も先生にお会いすることができまして、ほんとうに嬉しいです。私が冬安居の途中、家族が経験した苦難について、先生にお聞きしたいことがあります。冬安居の勉強中に家族にひどい苦難がやってきました。いわゆる、三災でした。大きな交通事故にあって、高い金額の損害賠償金を払いました。そして20年前、家族の一人が腹膜炎の手術した後、ひどい腸癒着症になり、一カ月に2回入退院を繰り返していて、医者は手術を勧めています。見守っている私はとても辛いです。私の家族のように多くの方々が同じ痛みを経験しておられるとお聞きしました。先生は講演で、苦難がやってきたらより一層勉強に励むべきだとおっしゃいましたが、私の家族はどうすれば以前のように健康を取り戻せるのでしょうか?


ANSWER
家族に困難が迫ったらだれが一番辛いですか?見守っている人、その人が一番辛いのです。困難が迫ってきたということは、今まで過ちがたまっていたのです。

例えば健康管理をしていなかったり、お互い傷つく言葉を使っていたり、または世の中でいろんな過ちがあったというように…このように少しずつ矛盾した行ためによって、もたらされる結果なのです。つまり、今までたまっていた過ちの結果と言えるでしょう。矛盾した行ためをしたからといって、すぐ自分に事故が起こるのではありません。事故が起きるためには小さい矛盾がたまって、ある程度の質量になると、その時事故が起きるのです。今日起きた事故は、今日犯した過ちで起きたのではないのです。

違う例えで言うと、今日私が奥さんに怒るのは今怒りを感じて怒ったのではなくて、今まで我慢してたまってきたものに、今日、火がついて怒ったのです。ところがおくさんは“あの人はつまらないことで怒っている”と言うんですね。
家族に今、困難が生じているということは、過ちがそれだけたまっていたということなので、私たちは勉強をしなければならないのです。
ここで間違ったら、私のお義母さんが体を壊しているから、私が看病をしながらお義母さんを助けていると思いがちなのですが、とんでもないです。そこでどんなに辛くても、私は勉強を続けなければなりません。お義母さんを看病して楽にするのではなくて、私は勉強をしてお義母さんのようにならないように努力するのです。それがほんとうの意味で、お義母さんを助ける道です。

親が病気で入院していたら、親のためだと思って、病院に一生懸命にお見舞いするのですが、それは子供の勉強のために親が病気になったのです。
親が入院していなかったら、あなたが心を正さないので、親を打って病気にさせるのです。そうしなければ、あなたが心を正して考えを改めないからです。大自然が親を病気にさせるのは、親がその子の勉強のために自分の役割を果たして苦労しているということなのです。
逆に、親を目ざめさせるためには、子を打ちます。こういうとき、子を打つのも、親にとって一番大切な子を打つのです。そうでないと、親ははっきりと目が覚めないでしょう? このように家族に起きた苦しみは、家族の残りを勉強させるためなのです。

病気で入院している家族がとても苦しんでいると思いますか? 病気の人は、その人が耐えられる程度まで痛むのです。ですが、その周りで看病をして、心配をしている人はもっと辛いのです。入院している人は、少しは痛くても、寝ていると楽なのです。お金を稼いでと言ってくる人もいないし、仕事をしないと言ってくる人もいないのです。今は休憩時間なのです。
腸を手術したら、もう少し長く休まなければならないし、脚の手術をしたら、回復するまで休まなければならないし…そのように痛んだところは治療をすれば治ります。けれども、看病をしている人はとても悩むし、辛いのです。患者はほかにいる、ということです。

ですから、私たちは「だれかのために、家族のために」となどということを考えず、しっかり目を覚まそう、ということです。このようなときには、「私に宿題ができたんだ」と思ってください。ところで、これを見ている私が、今この宿題を解かなければ、たいへんになるのは当たり前のことです。
入院している人は、残りの家族を病院にお見舞いさせることで、勉強させているのです。それでもこの勉強を私がしなかったら、入院していた人が治って退院しても、こんどは私が入院することになってしまいます。そうなると、こんどはまた私が看病をしてもらうことになるわけです。そのときは両方が勉強しよう、ということになるのです。

私がここで勉強をして、悟って、今病気で苦労している家族に「ああ! 私はあまりにもたくさん、誤ちを犯してしまったなあ」と少しずつ話せば、寝ている人が涙を流しながら聞きます。病気の時は人の話がよく聞けるものです。悟った人が病気の人に話してあげて、病気の人がその話を受け入れて悔いの涙を流したら、病気も治ります。
そうすればもう一度和合することで、再び同じ環境を作らない家族になれるのです。そのような機会を私たちに与えているのです。ところが未練を持つと順繰りに病気になります。ですから、未練を持たないでください。
私たちは今まで、知らずに経験してきましたが、私が大自然の運用法を教えているので、これからは迫る困難を一つ一つ正しくとらえるべきです。ですが、全てを悟って人物が正しくならなければ解放されないのではなく、少しでもキーポイントを掴んで理解しようとしたとき、そのときから苦しみは解けていくのです。
そうすると、今まで難しかった問題も解けるようになるのです。踏んだり蹴ったりの状況ですと、とても辛くなるでしょう。今でも遅くはありません。いつも今がスタート地点なのです。