*昨日の情報で、今日の人に接しない

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昨日の情報で、今日の人に接しない
QUESTION
以前、感情のもつれがあって連絡を絶った人に、ここ最近、再び会うことになりました。
この人にはどう接すればよいでしょうか。
ANSWER
これまでは昨日まで知っていた情報で人に接していましたが、今日会うなら、今日から接するべきです。なぜそういうことになるのでしょうか?人はいつも変化しています。今夜悟り、明日変わることができるのです。また、今日だれかに会って何かのショックを受けて、変わったりするのが人間です。

昨日までは泥棒をしたり、すごく悪いことをしていたとしても、今日私と会うときからは変わっていくのかも知れないのです。目の前の人を見るべきであって、過去の人を見て、今、判断したらいけないのです。
過去は途中であって、過程なのです。過程! それで過去と呼ぶのです。過程はいつもより良い暮らしをするために踏まなければならないのです。

以前会ったとき,とてもひどいことをされたからといって、その人をずっと悪く考えていると、その間違った判断で自分がたいへんになるのです。その人に再会するとき、今日話をしてみた上で、「今日話してみたがどうだろう?」、「明日はまたどうなるだろう?」と言うように判断をしなければならないのです。むかしのことを結びつけるな、ということです。そうしなければ、相手を見ることができなくて、相手を感じることができないのです。観念にとらわれて、心がそれ以上開かないので、相手を楽にしてあげることもできないのです。そしてその過程ではエネルギーが止まった状態になって、自分のエネルギーも良くならないのです。きれいにならない、ということです。

人になぜ会うのかと言うと、その人のエネルギーが私に伝わるために会うのです。自分のエネルギーが足りないから、その人のエネルギーをもらうために会うのです。

最高に澄みきってきれいなエネルギーは人を通して来る、というのが事実です。自然からもらえるのは30%しかないのです。70%のエネルギーは人から来るのです。
このようにして供給された時、私の濁ったエネルギーと停滞していた私の覚も循環して、足りないエネルギーが補充されて、よりよい力を使えるようになります。そのために人を会うのです。私たちがこの原理を知らないから相手の力を今使えないでいるのです。

相手が話すとき、私が心を開いて受け入れたら私の気がUPします。きたない話をしても、私がありがたく受け入れたら、きたない気がとてもすっきりした気に変わるということです。きたない気は重いのです。重いのでエネルギーはもっと大きいんですね。これが入ってきて浄化されれば、ものすごいエネルギーに変わるのです。この気を愛情を持って受け入れれば私の気がUPし、他の人にも分けてあげたり、私に気をくれた相手にまた返してあげることもできるのです。このように循環させるのが観世音菩薩なのです。

けれども、きれいな気しかもらわないでいると、気が小さくなります。きたない気は固まっているので、気が大きいのです。これを循環させて使うことさえできれば、大きな力を使えるようになるのです。ですから、私の前に人がいるというのはたいへんな財産を持っていることなのです。けれども、この気を間違って使ったら、あっても意味がないのです。ですから人に接するときは、真心をもって接してください。今日のその人をもって見直すようにし、昨日はだめだと偏見を持っていても、「私が見間違えたのかな?」と思うべきなのです。過去に悪く見たのも、よく考えてみると、私の覚で悪く見ただけで、その人が私に悪いことをしたわけではないのです。

例えば、詐欺を働いた人と、詐欺にひっかかった人の内、だれが心がより痛いですか?もちろん詐欺にひっかかった人がずっと痛いでしょう。ところが私たちは、詐欺を働いた人を憎んでいたでしょう?
詐欺を働いた人は、私を悟らせるために詐欺を働いたのです。今気づかないと私がもっとたいへんになるのです。それでこのときぴったりのタイミングで詐欺を働くのです。使者が来た、ということです。その時「私が足りなかったのだ、これを悟らせるためにやってくれたのだ、私がちょっとたいへんだといっても、あの人がとてもありがたい、もう一度やり直そう。」こんな思いで、その人を憎まず感謝しながら自身の仕事を訪ねて一生懸命やっていたら、失われたものもすぐ戻ってきます。このようにすると、知恵が湧いてきて、私の仕事が順調に進んで、失われたものはすぐ復旧されます。
詐欺を働いた人がどれだけありがたい存在なのかを知ったら、その後は詐欺に遭わないのです。私がこのように成長したので、詐欺に遭わないのです。なぜでしょう?ひっかかる必要がないので、遭わないのです。正しく進んでいるのです。ところが、詐欺に遭ったと、その人を憎んでばかりいるから、違う側面が見えないのです。良いチャンスが目の前にあっても、これが見えなくて見逃してしまうのです。

相手を憎んでばかりいると、あなたに少し残っているものさえも、まただれかが詐欺を働こうと狙ってきます。あなたの判断が間違っているということを教えるためです。
相手が私に悪口を言って、酷いことをしたのは、私の過ちを気づかせてくれるためです。その人を憎んではいけないということです。もしそうするなら、居直りだということなのです。

私をひどく苦しめるのは、今私が何かをつかまなければならないからです。そのときは少しつらくても、さっさと気を取り直して「私がこのような苦しみにあったのは、何か理由があるのではないだろうか?」、「私の言動に何か間違いがあったのではないだろうか?」こういうふうに、さっさと自分を省みて探してみれば、自分の過ちに気づくのです。

あなたのところに来てくれた人に感謝して仕事を進めたら、順調に進んであなたにもっと良い環境が与えられて、もっと良い縁を結ぶことができて、自分の癖も治せるのです。

あなたが良い暮らしを送るのか、送れないかは全て自分次第なのです。周りの人に関係しているのではありません。あなたに全ての機会が与えられているのに、あなたがそれに対処できずにいるのです。絶対に人を利用しようとしてはいけないのです。
また相手に怒ってもいけないのです。私には相手に怒る資格はないのです。相手に怒ってはだめです! 相手には私に悪口を言う資格はあっても、私が相手を憎む資格は与えられていないのです。大自然はだれ一人としてそんな資格を与えていません。ですから、悪口を言った人は順調なのに、憎む私はうまくいかないのです。つまり、相手の悪口をありがたく受け入れれば、私もうまくいくのです。