*人のせいにしないためには

 *他人のせいにしないためには

 

「他人のせいにしない」と言う事はとても難しいことです。

これは生活の中で一番難しい勉強であると思いますが、

正しく理解すれば、一番簡単な勉強にもなります。

まず、他人のせいにしてはいけない

理屈を知る必要があります。

 

他人のせいにしてはいけない理由は、

自分に困難が訪れないようにするためです。

大自然の法則では、自分が間違っていなかったら、

困難は訪れません。

私たちが他人のせいにすることは、

自分の過ちがなんのかが知らないからです。

人が他人のせいにするということは、

自分の困難をその人に転嫁していることなのです。

 

例えば、夫からまたは妻から殴られたとします。

目に痣ができました。

それでは、これはだれが悪いのですか? 

殴ったから夫が悪いでしょうね。

妻から見ると、「気まぐれのひどい人間だから 」と言うのです。

ところが、それをよくみてみると

そこには何か隠れていることがあります。

夫の、または妻の性格をよく知らず、

昔から小さなことで文句をつけていたのが、

少しずつたまって、今日少しの文句をつけただけで、

大喧嘩になったことです。

 

もう一つ例を挙げますと、道を歩いていたら、

自分には関係のないことでちょっと関わったら、

やくざから殴られました。

そこで、「このチンピラ野郎」と罵ったとします。

それでは、これはだれが悪いのでしょうか? 

やくざが私を殴ったのだから、

やくざが悪いでしょうね。

けれども、これをもっと深く考えてみると、

今までの人生の中で、周りの人に

少しずつ犯していた過ちが、

殴られるぐらいまでたまっていたことが、

今日 、そのタイミングで

ヤクザによって殴られたのです。

 

さまざまな所で気づいて来なかった過ちが、

少しずつ累積していたのが、

些細なことに巻き込まれて、突然のことのように、

ヤクザの前に私が行くようなことになるのです。

その時点で限界となり、私が殴られる状況になるわけです。

このような原理を分かっていないと、

私を殴った相手だけが悪いと思ってしまうのです。

 

私がこの世で何か間違ったことをしたら、

これは絶対に消えず、溜まっていくということなのです。

つまり、濁ったエネルギーを世の中に出したら、

これは絶対に消滅しません。

そのエネルギーという機運がある程度たまったら、

物事が起こるのです。

この時だれかが自分の相手になって、私を叱るのです。

 

交通事故で、車にひかれました。

その時、私たちは“ただ道を歩いていただけだったのに、

車が私に向かってきた”と言います。

しかしこれは、車が走っているところを、

私がちょうどその瞬間その道にいたということです。

正確に言うと車がその道を通る時に、

私がそこを通っていたことなのです。

なぜその瞬間にそのような事故が起きるのでしょうか? 

それは衝撃が私に返ってくるほど、

社会に少しずつ過ちを犯していたからなのです。

それでその時間、その場所に行くことになるのです。

相手は 普段通りに運転をしていたのに、一瞬よそ見をしたら、

人が急に現れてきたので、“あっ!”と言っても、

すでに事故は起きてしまったのです。

このようで事故が起きたのに“あいつが運転をちゃんと、

しなかったから私がひかれた”と言っています。

運転手が事故を起こしたのは、

あなたがその人の前に急に現れたからなので、

あなたが悪いのです。

運転手は“君さえ出てこなかったら、

何もなくまっすぐ行けたはずなのに…”と

言っているのにそれは無視して、

運転手に罵ったり、憎んだりします。

運転手のせいにして、悪口を言っていると、

手続きもうまくいかなくなったり、

イライラすることが多くなり、

補償金ももらえなくなったり…

そうなるとなおさら運転手を罵ってしまう、

そうすると完治したと思って退院しても、

出来事についての悔いることがないため、

また事故に遭うのです。

それで病院の常連になることなのです。

 

このような出来ことの根本を知ってたら、

「 これは天からの罰だ! 申し訳ありません、

これからは他人のせいにしない、人の悪口も言わない、

正しく生きるために努力します。許してください」

と心からの反省があれば、回復も早くなります。

こうすると、二度と事故に遭うことはなくなり

病院に通う必要もなくなります。

 

このような大自然の法則を分からないままでいると、

他人のせいにするしかないが、

分かっていたら人のせいにすること自体ができなくなるのです。

大自然は絶対に、過ちを犯していない人には

困難に遭わないようにするのです。

困難に直面したということは、

困難に遭うような生き方をしてきたという、ことなのです。

 

まだその答えが理解できなくても、

このような大原則は知っておく方がいいです。

過ちって何なのか一つ一つ解いてみると、

分かるようになるので、できことに対してじっくりと

考えてみることがすごく大事なことです。

それを修練、修行とも言えます。

自分の過ちを悔いることなくては、

困難から逃れることはできません。

これが他人のせいにしてはいけない法則なのです。

他人のせいにしている限り、

あなたの困難は終わらないのです。

 

他人のせいにし、怒ったりする人や、

悔いのない人を困難から救ってあげると、

それはいけないことでしょう。

他人のせいにせず、努力する人を大自然は助けるのです。

困難はそのようにしてなくなるのです。

 

ですから、自分の過ちがどんなものなのか、

自ら探ってみてください。

すべての困難が解決して、笑いがとまらない日々を

送れるようにしましょう。