SECTION ONE 3.偉大な旅の主役、ベビーブーマー

  1. 偉大な旅の主役、ベビーブーマー

朝鮮戦争の後、廃墟の上に戦後第1世代のベビーブーマーが生まれました。それは単一民族としての進化を済ませ、人類で最も高い知識を身に付けた人々です。天地創造以来、知識をこれだけ満遍なく身に付けた世代はこれが初めてです。

 

生まれたらすぐに学ぶ以外の道はないようにするために、大自然は、国際社会の文物、論理、思想など、人類が持っているすべてのものを韓国に持ち込んできていました。それで、彼らは国際社会から入ってくるすべての文物を自ら吸収して育ちました。

 

そして、「私たちは、民族中興の歴史的使命を帯びてこの地に生まれた。(中略)内では自主独立の姿勢を確立し、外では人類共栄に貢献する時だ」という国民教育憲章を鞭打たれながら初めて学んだのです。

 

ここでの「人類共栄に貢献する」とはどういうことでしょうか?


家族のためでしょうか?国民のためでしょうか?


いいえ。真の意味で「人類共栄に貢献する」とは私の隣人、私の国を豊かにすることではなく、人類のために己を燃やすということです。これが弘益(世の中を広く良くする)人間の生き方なのです。弘益人間は、自分の人生を精一杯生きて、死んでも悔いを残さない人生を送らなければいけません。そして人類の尊敬を受けて栄光ある一生を送らなければならなりません。これがまさにベビーブーマーなのです。

 

ところが、彼らは今、最も厳しい生活を送っています。その理由は何でしょうか? 若い頃にお金を稼ぐために生き、出世のために生き、全部失敗してしまったのです。職場に入って社会に接するということは、それぞれの素質を磨くためであって、お金を稼いで暮らすだけの労働者になるためではありません。政界でも、社会組織でも、企業でも、その環境の中で、成長し、勉強するようにと与えられたものなのです。そういう意味で「この国には、労働者がいない」ということです。

 

私たちは、社会を見つめ、与えられたすべての環境を、それに接しながら勉強しなければならなりませんでした。これが社会勉強です。
ところが、私たちはすべき勉強はしないで、お金を稼ぐのに一生懸命でした。生活のために社会に出るという考えでいたため、労働者に変わり始めました。知識と実力を蓄えずに財テクをし、とんでもないことばかりしてきました。勉強せずに浅はかな知恵だけを働かせたのです。

 

社会勉強のつもりで仕事をしていたなら労働者に転落することはなかったでしょう。これまで勉強せずにいたので、社会は成長しても、50代でできる仕事がありません。

 

学んでこなかったのに、どうしてできる仕事があるでしょうか?

知識を蓄積してこなかったため、社会が見えず、何をすべきかが分かっていないのです。このまま時間が過ぎれば、もっと信じられない苦労をすることになるでしょう。病気になったり、本人と家族に不可解な事件が起きて持っている財産が全てなくなったり、といったことが起こるかもしれません。

仕事は学んだけれど、できるのは質の低い仕事だけ。すると経済力も質の低い経済力が与えられ、それでは自分の気運の大きさに合わない生き方になるので、とても苦労します。それでうつ病になって、どうやって生きていけばいいか分からないと叫んだりして、自殺する者も続出することでしょう。

 

学ばなければ、富を持つ資格はありません。この社会は、実力もなく知識の質も量も低い者が富を得て、十分に食べ、いい生活ができるようにはなっていません。もし実力のない者が富を持ったら、それを見て蛾やミツバチが飛んできて、いろいろな誘惑をしかけてきます。すると、見識が低いため、その誘惑に乗せられて投資し、一気に富を失うこともあり得ます。

 

そのベビーブーマーが今、知天命である(天命を知る)50代になりました。この年になれば、天の道理を知り、地の道理を知り、自分自身を知る大人でなければならなりません。社会の大人であり、国の大人であり、人類の大人すなわち、「公人」でなければならないということです。

 

いくら考えがなくても隣人への思いやりは必要です。ここでもう少し見識が備わっていれば、社会のために何をすべきか、さらには国のためになにをすべきかを考え、もっと突き詰めれば人類のためになにをすべきかを考えます。そうすると天の気運を目一杯受け、大自然の力を自由に使うことができるようになります。

 

そして70代になると、社会と人類に貢献したことが回り回って戻ってきます。それによってさらに人としての輝きを増し、真の意味で国の大人、人類の大人になることができます。ここから人々の尊敬を受け始めるのです。そして80代になると、自分からは動かず、ただ座っているだけで、訪ねて来る人々に活力を与える存在になります。

 

ところが、信じられないほどの犠牲を払って国民が作り上げた経済の支援を受けながら、学ばなければならなかったのに、多くの知識人は学ぶのではなく、財産を築いて自分だけいい生活をしてきました。


国民が経験した苦労を、自分たちは味わわないと思っていたのでしょうか?
この世は極めて公平に回っています。知識人は、国民の恩を受けて生きてきましたが、国民の生活は苦しくなりました。その国民のために何もしなかったのなら、明らかに大きな痛みを味わうことによって、その恩を返さなければなりません。ですから教科書を作らせてでも、「そのような生き方は間違っている」と後世に残さなければいけません。

 

人類の歴史の流れを全身で吸収し成長してきた私たちが、なぜこんなに辛酸をなめ、生きる道を失ったのでしょうか? その理由は、まさに宗教指導者や精神的な指導者、大学教授のような人が自分の役割を果たしていないからなのです。

 

国民が身を尽くして70%まで達成する間に、知識人は勉強するべきでした。社会を研究し、国を研究して、国民を研究しなければならなかったのに、今までとんでもない研究をしてきました。

国民を自分の下僕にして自分の組織を管理し、地位を貪り、争うことなど大したことではありません。このままではこの国の運命は風前の灯です。

 

ここで一段高く跳び上がって新しい跳躍をするためには、新パラダイムを開く必要があります。知識人が新パラダイムで道を開いたら国がざわつきます。つまり、知識人が新パラダイムで新しい発言をすれば、国に大きな影響を及ぼすということです。

 

今こそ私たちは人類の経営を始めなければいけません。国際社会は、韓国をまだ信じてくれています。何をするかは分からなくても、まだ韓国を信じて何かを待っています。
けれども猶予はありません。
知識人が成長できるように支えてきた国民も、知識人を育てるために犠牲になった若者の命も、韓国が成長するためにすべてを注いでくれた人類も、もう持ちこたえられないところまで来ています。

 

弘益人間のすることは何なのかをもう一度考えなければなりません。人類を広く利することによって、私たちは尊敬を受ける。そうしていけば、私たちが生きていく道は自然と開ける。
自分のために欲を出すと自滅する。今までは、すべてを蓄積するために努力してきましたが、今後はわずかな力でも相手のために使って生きなければいけません。弘益人間は相手のために渾身の力を尽くせば自ら輝くことができます。そして良い暮らしへの道が自ずと開かれていきます。

 

自分のためではなく、相手のために仕事をしましょう。もちろん、自分のためにしてもかまいませんが、その場合、自分が苦しんでいる時に誰も救ってくれません。
私たちは5千年の歴史を大事にし、祖先の魂を輝かせ、人類共栄に貢献しなければなりません。どれかひとつでも念頭に置いて3年努力すれば、その念願は成し遂げられます。今まさに韓国が人類の建設を始める時なのです。

 

人類として70%の水準まで成長した私たちは、私たちのために血を流した国の人々にしっかり恩を返さなければなりません。私たちはここまで発展してきましたが、彼らの国は今、皆苦労しています。それなのに、私たちが自分の生活しか考えなかったら、大自然が絶対に許さないでしょう。
命をかけて韓国を助けてくれた国際社会のために、何をすべきかを深く考えなければなりません。それをしなければ、この先一歩も上に進むことはできないでしょう。

 

私たちの民族が共に努力して、これだけ等しく豊かになったのは、歴史以来、初めてのことです。これから私たちが人類のためにすることによって、韓民族が歩んできた膨大な旅が光輝くか、それとも消えていくかが決まると言っていいでしょう。

 

今、韓国には、人類に対して偉大な行いをするための、すべての条件がそろっています。人類のために何をすべきかを考えて道を開いていけば、私たちは偉大な国民になるでしょう。けれども、自国のためにだけ生きるなら、人類から跡形もなく忘れられていくことになります。私たちが力を蓄えたときは、この国内で蓄えましたが、今度はその力を人類に対して光輝かせなければなりません。そうして初めて、我々は偉大な民族、偉大な国になることができるのです。

今や、弘益人間が創っていく偉大な旅が始まろうとしています。