SECTION THREE韓国の現実:漂流する韓国-5.新しいパラダイムによる社会システムの運用

f:id:dakujem:20190210234046j:plain

 

新しいパラダイムによる社会システムの運用

 

先日、五つの青年団体会員たちが民主労総の前で「壮年勤労者のみなさん!賃金ピーク制で仕事を分けてください」という立て札を掲げました。来年から大企業では60歳定年が義務化され、大企業の採用人員も年々減り続けており、今後の若者の就職はさらに難しくなる見込みです。この青年と壮年の雇用問題を解決するためにはどうすればよいでしょうか?

 

 

私たちは天地創造以来、労働というものを初めてしています。労働者として働いて食べていく方法は、国際社会から初めて導入したものですが、今だに秩序が成り立っていません。もし労働を数百年間、数千年間、練習してきたのであれば、秩序は成立していたでしょう。

 

 

もちろん、国際社会のやり方で70%までは成長しましたが、今の社会で初めて試しているシステムなので、方向性が定まっていないのです。ですから70%の成長を成し遂げた今、いくつか矛盾が出てきているのです。「ポストを空けてください、私たちが入れるように、もう辞めて出て行ってください。」と若者たちが親世代に言いますが、何か矛盾していませんか?

 

 

私たちは、今食べていくために仕事をしていると勘違いしています。食べていくために働くのではなく、自分の成長のために仕事をするのです。つまり、仕事の中で勉強するということです。 勉強せずに、ただ食べていくために働いていれば、後に大馬鹿者になり、50歳のときには質の低い人間になっています。それでも年齢とともに給料は高くなっていきます。

 

 

質の低い仕事で知的な社会活動もできないのに、お金だけ多く要求しているわけです。知的になればなるほど経費が必要となります。けれども、知的なことはできず、お金だけたくさん使おうと声を張り上げる行動は、実力不足からくるのです。

 

 

そして今、私たちは定年をどう考えていますか?定年を「50歳で良い、55歳で良い、60歳で良い、65歳で良い」といろいろな意見がありますが、本来の定年は50歳を超えてはいけません。 49歳になる前に退職したほうがよいのです。会社は若者が20代で職場に入り、30代半ばになれば、もうその会社のことをすべて把握していなければなりません。

 

 

そして40代では、会社に残るべき人間か、会社を辞めて別の準備をした方がいい人間かを判断しなければなりません。ですからその前に30代で30%は減らすべきなのです。個人経営であっても、会社は社会です。ですから会社が循環できるように、経済が支払われ、その経済は会社が運用するものです。

 

 

また、政府は別の運用をし、宗教はまた別の運用をし、3つの軸が一つのシステムになって回っています。それで会社は、その一側面を担当し、経済を動かしています。会社は、会社に入って来た人を育てなければなりません。韓国は人を育てる場です。労働者を作るところではなく、人材を成長させる国なのです。

 

 

それなのに、仕事をさせて対価としてのお金を払うだけでいいのでしょうか? これでは、ただ労働者を作り、奴隷を作っているだけです。我が国民は奴隷ではありません。人類の文物と技術と環境をすべて取り入れて「これから私たちは何をするべきか」を教育したのに、その根本がわからず、数時間の仕事に見合う賃金を払うことになってしまいました。

 

 

ここから間違えたのです。今、韓国の国民すべてが労働者、奴隷になってしまいました。これは現代版奴隷制度だといえます。このままでは、間違った方向に行ってしまいます。なぜこうなったのかを突き詰め、間違えを正さなければいけません。

 

 

また話は戻りますが、30代半ばになったら、会社に長くいるべきでない人間は、早めに他の準備ができるよう早く送り出すべきです。その時に30%を選ぶのです。そして40代に入ったら、再び面接をし、辞めるべき人には辞めてもらいます。30代半ばになれば、この会社で一緒に歩んでいく人か、それとも会社を出て他の仕事をすべきかわかるのです。

 

 

ですから、入社して10年くらいたった頃には、もう面接を済ませていなければなりません。会社が人件費を払って、育て、社会勉強をさせても、しっくりこないのであれば、他の道に進む準備をするように導いてあげるのです。それで、30%は外に送り出すのです。そして40代にも点検し、ここでまた30%〜40%を送り出す必要があります。

 

 

すると30%が残ります。残った彼らがこの会社の将来のため、多くの人々のために仕事をし、会社にとって必要な人材になるのです。会社が育てた人のうち、30%は残るべきです。定年になってもリストラしてはいけません。この30%の人は、定年とは関係ないのです。70代までは会社にいてもらいます。

 

 

なぜなら彼らは正しく成長した人材だからです。このような人材をやめさせたら、会社は亡びます。会社は人材を育てて使うために運用していくシステムでなければなりません。会社に残った30%は、その会社の発展のために努力する研究者になるべきです。彼らはみな成長した実力者ですから、会社に残って奉仕もしなければなりません。

 

 

つまり、実力を蓄えた人は給料をもらうために仕事をする労働者ではなく、社会の奉仕者、つまり公人にならないといけないのです。実力者は勉強しつくして、抜擢 (ばってき)されるので待遇を良くするべきです。また、実力が足りない人は、自分に合ったボジションに行かなければなりません。

 

 

会社は実力が足りない人や、仕事に対する興味があまりなく、遠回りをする人には、早く自分の居場所を探してあげるべきです。会社に合わないからそうするのです。会社と合う人と合わない人がいます。合わない人には、外へ出て何かを準備するように費用でもあげて辞めてもらうのです。どんな社会へ行っても韓国は韓国です。韓国は一つのシステムであると言えます。

 

 

外に出す人は全て出し、またそのポジションに新しい人が入って来て、また次に入ってくる準備をし...と、このように運用しなければなりません。そうすると、システムがスムーズに回ります。40代後半に面接をして、50代になったら、何をすべきかという新しいパラダイムを生み出さなければなりません。

 

 

それなのに、50代で部長になって退職までまだ5年残っているからと、実力を蓄えようとしないで無為に時間を過ごしています。これはどういうことでしょう?50になった人物は、実力がなければ一旦、外に出なければなりません。自分が食べていくために会社を殺そうとするのは狂っています。そのような人が会社にいると会社は亡びます。

 

 

会社で働くのが合わない人の中には、農村に行く人や社会活動をする人がいます。農村に行く人は、できるだけ早く行って農業に従事する準備をするべきです。農村の仕事も若いときに行けば、新たに準備する余裕ができます。この国のあちこちに国民が活躍する場所がありますが、農村は人出不足です。

 

 

また、社会運動や社会活動の場も人が足りません。社会活動家が増えれば健全な国になります。私たちは社会活動の根本を研究すべきです。社会活動とは、デモをすることではありません。社会が健全になるようにしっかり調査し、まとめ、社会を手助けをすることこそが社会活動です。

 

 

けれども今は意味のないデモをしているだけです。「それはダメ!これはいけない!これをやってくれ!」と、自分の考えでだめだと思うことばかり言うので、今のシステムとぶつかっています。それで、国が大変なことになっています。しっかりとした社会活動が定着していないので、今日、警察が路上を車で封鎖するようなことが起きるのです。

 

 

社会活動家が自らの役割を果たすとき、国がその後押しをしてあげれば、国庫の損失は減り、社会も発展していくことでしょう。職業についても、私たちはもう一度考えるべきです。「職業」という言葉は、今の時代に入ってから初めて聞く言葉です。

 

 

今は皆知識人ですが、過去には無知な人は労働、知識人は管理をしました。企業がこれほど成長しているのに、なぜ困難に直面しているのでしょうか? 企業の成長に伴い、それを運用する人材も共に大きく成長しなければいけないのに、労働者だけが増えているのが現状です。

 

 

奴隷になった者がどうやって巨大な力を運用できるでしょうか?ですから、70%まで成長しても、残りの30%を運用できる人がいないのです。それで育ててきたものがきしんで、この国が滅びようとしているのです。国を考え、人類を考える理念を持つ者が出るべきなのに、理念のない人が上の30%の高い位置を占めています。

 

 

彼らは仕事を一つもしないで、ただ座ってお金だけをしっかり稼いでいます。会社がお金を出さないからといって、お金が入ってくるところがあるでしょうか? ゴルフをしたいし、ベンツにも乗りたいから裏金を作って手に入れています。そんなことばかりしているのに、幹部だからということでそのまま放置しているのに、どうやって会社が亡ばないでしょうか?

 

 

とにかく人材がいません。我が国は今まで人材を育てていないのです。今からでも正しく人材を育成する国になるべきです。このような問題を解決するために、人類が今まで運営していた方法を、我が国に全部持ってきて、私たちがそれを経験しているのです。これを研究して新たなパラダイムで運用体制を作り出せば、この国は安定し輝きます。

 

 

そして、国際社会がこれを学ぶために我が国にやって来ます。今、首脳会議やシンポジウムやフォーラムを韓国で開こうという気運が高まっています。それなのに、ここで発表する新パラダイムがまだ一つもないのです。

 

 

遠い国々から、なぜ韓国に来るのでしょうか?何か新しいことがあるのではないかと、望みを持ってくるのです。けれども、どんなに待っても新パラダイムが出てきません。博士たち、学者たち、社長、会長、それぞれの国の大統領が時間を取って韓国に来れば「韓国に行くと何か一つ解決する」と新しい何かを得て帰るようになるはずなのです。

 

 

ところが、今は食べていくことばかりを心配する人しかいません。これでは国が滅びてしまいます。今までこの国が発展してきたのは、労働者が苦労し、犠牲になってきたからです。そこまでしたのなら、知識人が社会を再点検する責任を負わなければなりません。

 

 

それなのに、自分のやるべきことさえできずにポジションだけ守るつもりですか?皆追い出さなければいけません。そうすれば新たな発想が生まれます。韓国が人類のモデルになるという事実を知るべきです。韓国が新パラダイムで輝けば、世界中がこのパラダイムを見習おうとします。そうなれば人類が救われるのです。

 

 

韓国は人類の研究所です。人口もちょうどいい規模、三千里錦繍江山の南、太陽の光が暖かく照らす国。ここで研究をしなければなりません。意義とやりがいのある生き方で、この世に希望を与えられる人材が出なければなりません。ところが、そういう勉強をしていないので、社会的に混乱を招いています。

 

 

もう一度言いますが、定年を新たに考え直すべきです。 「定年を60歳までにしよう、65歳までにしよう」などと言いますが、実力がある人は社会に奉仕するので、定年に関係なく実力を十分発揮させ、国民のために生きるようにすべきです。

 

 

ところが、ここで給料をもらうために働き、自分の実力は発揮しない?それなら、3年で「アウト!」にしなければなりません。実力を発揮できなければ3年でアウト。また今は実力があっても次の3年間なにもできないとアウト。この方式で、面接をしっかりとしなければなりません。実力が発揮できなければ、後輩やスタッフから無視されるので、やめて、別のことをしてみることです。

 

 

社会は実質的な学校です。社会の中で勉強できない人は、無知な人です。そしてどんなポジションにもつけず追い出されて、「これからどうやって食べていこう?」と言うのです。成長して「この社会で私は何をするのか」を考えず、「どうやって食べていくか」を考える人は無知な人です。

 

 

私たちは労働者として成長するのではなく、社会勉強をすべきなのに、今は労働者に成り下がっています。この国には研究者と学ぶ人はいても、労働者はいないはずです。大自然がこの国に気運を恵んでくれて早く成長できました。ところが、これほど成長したのに、皆お金の奴隷、人の奴隷、仕事の奴隷に変わってしまったのです。

 

 

どうして、弘益人間がこんな生き方しかできないのですか?定年や労働という概念を新しく直さなければなりません。この社会の若者が労働者になってはいけないのです。この国だけでなく、世界の人々も同じです。若者たちが人材になるとき、とても楽しく喜ばしい幸せな社会、平和な社会になるのです。

 

 

若い人が全て労働者になってしまったら、人類は滅びます。人材を育てる国、韓国からこれを始めなければならないでしょう。この社会は学校です。労働する職場ではなく学校です。教育制度の下で学ぶのは30%の基礎だけです。残りはこの社会の中で学びます。社会で残りの40%を満たした人材になるべきです。そして仕上げの30%の人生を素晴らしく輝かせて生きなければなりません。

 

 

私たちはよく「韓国の未来は若者たちにかかっている」と言います。しかし、先ほどの先生の講義では韓国の未来は若者ではなく、むしろ、ベビーブーマーにかかっているようです。このように理解してよろしいですか?

 

そうです。50代は指導者にならなければなりません。それを知天命(天命を知る)と言います。知天命になれば政治ができ、社会を導いていく力が天から与えられます。 40代は学び蓄える力、30代は成長する力、20代は発育する力が与えられます。自然が与える力は時期ごとに異なります。

 

 

若者は社会の宝だと言うのは正しいです。これから若者たちが成長しながらこの世界をより良くしていくので、正しいと言えます。しかし、自分の役割を果たさなければ、宝にはなれません。成長してない若者がどうやってこの国の宝になるのですか? 自分をより良く育ててこそ宝になっていくのです。

 

 

そうなるためには、まず目上の人が正しく学び、下の人に正しく接していくことが大事です。そして、その下の人がまた自分の下の人に正しく接していくとき、この社会が健全に変わっていくでしょう。上流の水が清ければ、下流の水も清い。これは人間の社会においても言えることです。つまり、上の人間が清ければ、下の人間も清いということです。 

 

          参考;THE GREATEST LOVE PROJECT-人類飢餓ゼロプロジェクト編